犬と家とバツイチ

犬を育てています。人生と暮らしと結婚生活の弔いについて

失恋の乗り越え方

いつものごとく友人についてです。わたしは記載の通りなにも乗り越えられてないので。

 

今月のうれしかったこと。

友人に新しい彼女ができ、彼女とわが家(わが家は完全に失恋ハウスになっており、失恋離婚に悩んでいる友人の駆け込み寺のようになっている。and I’m proud of it) の半々の比率で失恋から立ち直りつつあるといっていた事。

 

わかってる。20代で家買って犬を愛して好き勝手生きてるのがいかに再婚から遠ざかってるか自分の人生の選択肢から遠ざかってるか親を複雑な気持ちにさせているのかわかってるけどでもそれはそれでこれはこれで私は買いたかった家が買えて友人の失恋に作用できてそれだけで買ってよかったって100%の自信でそう思う

元義従弟

夏休みなのでいとこがうちに泊まりにきました。元夫の従弟。

 

彼の人生の1/3くらいのあいだ、わたしは彼のお姉ちゃんでいました。その後関係性の解消があったことも理解していて、それでも彼の家族ぐるみで法律はともかくとしてずっと家族だって言って折に触れて連絡をくれます。やさしい子だしやさしい一家です。

 

夜、彼のために仕切られたスペースを用意したのに一緒に寝たいと言ってわざわざ私のベッドのとなりに布団を引きなおすくらいひとなつっこい彼に、ぼくたちの名字ってもう違うの?って聞かれた。

 

そうだよ。名字はもう違うから、お兄ちゃんはまた他の人と結婚して大丈夫なんだよ。意識して明るく聞こえるようにそう伝えたときに彼がなにを思ったのかはわからないけど、一息置いて返ってきた返事をきいて、この子は的確な表現をするなって思った

 

 

ぼくね、コンタクトないと目がほんとに見えないのね。だからお姉ちゃんが今どんな顔してるのかわかんない。

自分はリスペクトされるべきという驕り

我が社には課題が多い。

 

平成初期から続く、中小企業というよりもはや零細企業。わたしと同い年くらいの会社は同じくらい課題の多い社長が脱サラして創設したもので、良くも悪くも人間的すぎるところがあります。

 

わたし自身まったく不真面目な人間だけれど仕事は仕事としてビジネスライクにいきたいとおもっているので、仕事なのに理にかなってないという状態はだいぶ趣味にあわないのだけど、そんなこんなでもう5年くらいここにいてすでに中堅になってしまったということは残念ながらそれなりに耐性あったのでしょう(全然いらない)。

 

そんな我が社には前述の通り課題が多く、それは物理面と精神面と精神面と精神面に分けられるんだけど、今日社長と帰り際に1時間立ち話して、全てのトラブルの根本は「自分はもっとリスペクトされるべき」という驕りからくるものだという結論に至りました。

 

自分は損ばかりしている、相手のここが傲慢だ、ならばこれくらいの態度でいいだろう、自分はこれくらいの待遇にふさわしい、そのように扱ってもらえないならこちらも相応の対応しかできません

 

先行する相手の態度感情の可否はどうであれ、リスペクトというのは大半の場合自分の行いの結果だと思うので、自分へのリスペクトを自分で前提にして他者に要求するのはやや前後関係に無理があるように若輩者は感じています。対社外の人であればなおさら。

 

でもね。そのあと電車に乗ってて思ったんだけど。なんでそもそもみんなが自己承認欲求を持て余してるんだろうって。なんか、いわゆる、荒んだ家庭環境のストレスを学校で吐き出す子供たちのようだなって。たぶん、それは自分のしている業務に納得感がなく、正当な評価に飢えているからではないだろうか。納得のいかないままやらされているストレスを社内で交換しあってるんじゃないかな。ということを、明日Slackで社長に投下してみようかな。もうなるようになれ。

 

ちなみに私は仕事上の承認欲求はほぼなく、喧嘩をふっかけられても刺し返すことはないし社長がどれだけ常軌を逸脱していても1時間も2時間も立ち話できるんだけど、たぶんそれは私がこの仕事を根本的に愛していないからなんだと思います。私にとってこの仕事は純粋に金銭のためでしかない。それ以外の精神的支柱は必要ない。そういう点で、社長が本当に大切にするべきなのは愛に飢えた荒んだ子供たちのほうなんだけど、彼はそれには気づかないので我が社の課題は一向に減らない。

いつまでこんなこと思いながら生きるのだろうか

愛読するブロガーさんのタイトルに共感したので、尊敬を込めて拝借しました。

 

元夫の夢を見た。

 

それはそれは鮮明な夢の中で、私は元夫と彼の今の恋人であろう人と3人でいた。

 

私は写真でしか姿をみていなかったので、へーこんな人なんだなってところがプラス面でもマイナス面でもあって、それは自分へのバイアスを抜きにしても本当に他の知人に感じるものと同程度の印象だったように思う。彼女にはね。

 

でも、彼女のことが100パーセント大好きな元夫を見て、100パーセント愛されてた過去を思い出して、それは本当に過去も過去で今は今なんだなって思って、彼女を大切にしたいから協力して欲しいって真摯な目で言われて、ひさしぶりに会った元夫は全然私の趣味じゃないけど客観的にはとってもスマートになっていて、

 

魅力ってなんなんだろ。それって人間にとって第1に必要なもの?

 

 

 

 

夜中に咄嗟にとなりに眠る犬の手を握ってしまった。ごめんね、ありがとう

 

 

 

犬と過ごす一日

普段いつもいつもひとりで留守番させられている、人間も犬も猫もなんでも大好きな寂しがり屋のうちの犬の人生をすこしでも楽しいものにしようプロジェクトの一環で、月に一回ノーズワークというアクティビティに参加しています。ドッグスポーツの一種で、においで食べものを探し当てるゲーム。

 

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前日から持っていく牛肉(テストの結果彼のモチベーションがあがるターゲットは牛肉ということになった、なまいきな)を買ってゆでてタッパーにつめてるとなんか子どものためにお弁当作ってる錯覚におちいる。普段は子どもというよりは友達というか家族というか仲間って感じなんだけども。群れのチームメンバーみたいな。

 

まずは近日中に予定している麻酔検査のための術前血液検査を同じ建物の動物病院(というより犬の教室が病院に入ってるかたち)にて午前中に行い、午後にそのままワークして、夕方から2人で友人の誕生日パーティー向かってちやほやされて、夜中に帰宅。丸一日一緒に出かけてくたくたになって夜ぐっすり寝てるところを見ると、普段ひとりぼっちにさせている罪滅ぼしが少しでもできたような気がしてそんなところもちょっとシングルマザーの錯覚に陥る。

 

外に連れ回したこともお金払って習い事させたことも検査もパーティもそもそも彼と暮らしていること自体も全部わたしのエゴエゴエゴなのだけど、何がなんだかわからんがなんか楽しかったなって少しでも思ってくれることがあればよかったなっていい一日になったなって思う。

 

わたしを好きでいてくれてありがとう!

さみしさの必要性

ホームパーティって最高だと思うのね

 

みんなが来てくれてお話ができてお酒のんだりおいしいもの食べてめいめいの人生を交換して、お店よりぐっと経済的でしかも私はその場で帰れる。家だから。

 

うちに来たからにはお世辞でも犬かわいいって言ってくれて犬も人がたくさんいて嬉しそうでたまに芸してちやほやされて

 

ホームパーティのホストをやると、もれなくわたしも犬もお手軽にちやほやされる。家買ってすごいね、犬飼っててすごいね、え、結婚してたの。なんだかんたちやほやしてくれるけど、結局みんな自分のお家に帰っていくのね。あたりまえだけどね。

 

一緒に住んでくれる人が欲しいというわけでは全くないんだけど、それでも本気でうちがいいって思ってくれるといいなって思ってるのかな、それってつまり自分の思考を後押しして欲しいのかな。ダサいな。

 

みんな来てくれてありがとう

ホームパーティ目標月一以上、4月から継続中

 

記念日

私は人並み以上に記念日というものが好きなようで、思い返せば小学生のときから、日付に敏感で人生の振り返りばかりしてた気がする。それが高じていまのブログにつながっているので、たぶんこれは趣味に近い。子どもの頃と違って人間ってすぐいままでのこと忘れちゃうなって人生が長くなればなるほど思う。

 

私はいわゆる恋愛関係が長続きしたことがなく、冗談みたいな関係をぽつぽつ繰り返すばかりで付き合った記念日というものを迎えたことがなかったので、「記念日を過ごす」というものになんとなくアコガレがありました。挙句なし崩しに関係を持った、付き合った日の定義ができない男と結婚して、ようやく得た結婚記念日をそれはそれは自分なりにかわいがっていたのだけど、実質純粋なそれを迎える前に破綻からの離婚したので、結局人生でいわゆる「記念日」を過ごしたことがなくいまに至るのでした。

 

かわいがっていた結婚記念日を、結局いちども純粋な気持ちで祝うことのできなかった結婚記念日を今更ひとりで祝っていたらさすがにどうかと思うので、なので私にいまあるのは離婚記念日だけなのです。離婚記念日を意識しまくってるのって離婚したこと意識しまくってるすなわち結婚を意識しまくってるみたいでどうなんだろうって自分でも思ったけど、まぁそれはたぶん遠からず事実だし、なによりいま目の前にあるものを楽しまなかったとしてなにか代わりに得られるわけではないので、私は今日夫と通った大好きなお店で離婚記念日を祝うことにしました。たとえ明日が健康診断でもね。

 

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独立1周年を祝して。