犬と家とバツイチ

犬を育てています。人生と暮らしと結婚生活の弔いについて

住所と感傷

たまたまこんなお題を見つけてしまったのでのってみる

CHINTAIのお題なのにすごく恐縮なのだけど、わたしにとって人生でいちばん明白に自立を意識したのは物件を購入したときだった。つまり先月。

 

物件を購入しようという直接のきっかけは離婚で、その直接のきっかけはまた別にあるわけだけど、そもそも結婚した時点でもその前の時点でも自他共に自立していると認識していた/されていたわけだけど、それでも離婚を機に引っ越しを余儀なくされたわたしは結果的に自分の名義で中古戸建を購入することにした。

 

離婚した時点ですでにライフプラン?人生の再構築についてはある程度考えさせられたので、たとえふられた側だとしても今更落ち込むということはなかった。毎日を重ねるごとに過去のものになりゆく実感も確かにあり、なんなら人生を取り戻した喜びすら感じた。それはちなみに今も感じている。

 

にもかかわらず、わたしが離婚後に決定的に落ち込んだタイミングがふたつあった。ひとつは内覧中に善良な不動産屋さんに「この物件はファミリーを全然イメージできない」とコメントされたとき、もうひとつはいまの物件の売買契約時だ。

 

ひとつめについては単に自分の情緒の問題だと思うので割愛します。まるでファミリーではない自分を再確認できたいい機会でした

 

ふたつめ。売主は子育てのひと段落ついたうちの親より少し若いくらいの夫婦で、2人いた子供のうち下のお嬢さんも就職したのを機に夫婦でコンパクトに住み換えようとしているとのことだった。まさか娘と同じ二十代で独身の女が買うとは夢にも思わなかったことでしょう。

 

あの日、わたしはひとりで契約に向かった。思いのほか専門的で具体的な物件についての説明をすでに戦友のようになっていた不動産屋さんから受けた。山ほどの書類にひとつひとつ、わたしのサインと親からもらった名字の印と元夫と一緒に暮らすために借りたいまのマンションの住所を書きこんだ。ふたりで選んだ、広くはないけどおしゃれな都内の分譲賃貸。ふたりだけの世帯を持つことにとてもわくわくした2015年のきもちが生々しく蘇ってきた。大好きなひとに離婚しないなら出ていってほしいと言われた2017年の冷たい年末もきちんと思い出した。ふたりのものだった住所を物件売買契約書に記載していくことがこんなに痛みの伴うものだなんてその時まで想像もできなかった。離婚を決めたあとも、離婚した日も、不動産購入を決意してからも迷ったり後悔したことなんて全然なかったのに、まさか事務手続きでこんなにしんみりするなんて。人生なにがあるかわからないね、ほんとうに。

 

うまく説明できないのだけど、あの日のことを思い出すとわたしはこの先どんな困難にも立ち向かえるんじゃないかという根拠のない自信が湧いてくる。売主夫婦はすごく気のいい方で、手続きのあいだのわずかな時間からも彼らがあのおうちで過ごした暖かな16年を感じられた。17年めからはわたしの家になる。わたしの意志で選び、わたしの名義で購入した、わたしの名前で登記がされる小さな東京のかけら。わたしの人生はわたしのものだ。

 

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