犬と家とバツイチ

犬を育てています。人生と暮らしと結婚生活の弔いについて

困ってるひとを助けるということ

困ってるひとを助けるのがいいことなのか悪いことなのか最近よく考えます。

 

その人が困ってることをわたしが解消できるならもちろんしたいし、それは今でも変わらないんだけど、果たしてそれが本当に本人のために、そしてわたし自身のためになるのかよくわからなくて、例えばお金を貸すとかね。お金貸してもいいから助けたいって思う相手はそれは大切なひとなわけだしもちろん返ってこないリスクを承知の上で貸すわけだけれど、わたしだったら自分の経済力でできないことはやらないだろうからその時点で個人の価値観は相入れないわけ。それでも相手が必要と思っていて貸すことで問題が解決してみんなハッピーならわたしとしてもなにも問題はないんだけど、やっぱりそれで返ってこなくて友達ごと失ったということもあるわけで、それだったらわたしはわたし自身のために友達を残しておきたかったなというエゴ。もちろん、助けたのもわたしが助けられたヨカッターって思うためのエゴ。野良猫にエサをあげるのは猫のためにならないとか言われるけどいまの空腹は解決できるじゃん?ってずっと納得いかなかった。

 

最近「紙の月」という映画をみました。こんなあきらかなリスクを取り続けて破綻していく主人公はサイコパス感はんぱなかったけど、自分の快楽のために相手に与え続ける姿は少しだけ共感してしまった。そしてよくないなと思った。本当にそのひとたちのためになることをやっぱりできればしたい。かわいい野良猫が幸せになることでわたしのエゴが納得しますように