自分はリスペクトされるべきという驕り
我が社には課題が多い。
平成初期から続く、中小企業というよりもはや零細企業。わたしと同い年くらいの会社は同じくらい課題の多い社長が脱サラして創設したもので、良くも悪くも人間的すぎるところがあります。
わたし自身まったく不真面目な人間だけれど仕事は仕事としてビジネスライクにいきたいとおもっているので、仕事なのに理にかなってないという状態はだいぶ趣味にあわないのだけど、そんなこんなでもう5年くらいここにいてすでに中堅になってしまったということは残念ながらそれなりに耐性あったのでしょう(全然いらない)。
そんな我が社には前述の通り課題が多く、それは物理面と精神面と精神面と精神面に分けられるんだけど、今日社長と帰り際に1時間立ち話して、全てのトラブルの根本は「自分はもっとリスペクトされるべき」という驕りからくるものだという結論に至りました。
自分は損ばかりしている、相手のここが傲慢だ、ならばこれくらいの態度でいいだろう、自分はこれくらいの待遇にふさわしい、そのように扱ってもらえないならこちらも相応の対応しかできません
先行する相手の態度感情の可否はどうであれ、リスペクトというのは大半の場合自分の行いの結果だと思うので、自分へのリスペクトを自分で前提にして他者に要求するのはやや前後関係に無理があるように若輩者は感じています。対社外の人であればなおさら。
でもね。そのあと電車に乗ってて思ったんだけど。なんでそもそもみんなが自己承認欲求を持て余してるんだろうって。なんか、いわゆる、荒んだ家庭環境のストレスを学校で吐き出す子供たちのようだなって。たぶん、それは自分のしている業務に納得感がなく、正当な評価に飢えているからではないだろうか。納得のいかないままやらされているストレスを社内で交換しあってるんじゃないかな。ということを、明日Slackで社長に投下してみようかな。もうなるようになれ。
ちなみに私は仕事上の承認欲求はほぼなく、喧嘩をふっかけられても刺し返すことはないし社長がどれだけ常軌を逸脱していても1時間も2時間も立ち話できるんだけど、たぶんそれは私がこの仕事を根本的に愛していないからなんだと思います。私にとってこの仕事は純粋に金銭のためでしかない。それ以外の精神的支柱は必要ない。そういう点で、社長が本当に大切にするべきなのは愛に飢えた荒んだ子供たちのほうなんだけど、彼はそれには気づかないので我が社の課題は一向に減らない。