犬と家とバツイチ

犬を育てています。人生と暮らしと結婚生活の弔いについて

ラブレターの主語

親戚の子に彼女ができた。恥ずかしそうに、気怠そうに、でもどうしようもなく嬉しそうに2人のやりとりを4等親まで見せる彼は気の優しい朴訥な高校生である。若い2人の2人にしか紡ぎ出さない言葉のラリーに周囲の成人たちは文字通りむせ返って、口々によい女の子をみつけたね、と言った。

 

たぶんあの場で、わたしだけがそうは思わなかった。文章自体にも驚いたし、そう思っていないのが自分だけだということにもっと驚いたけど、自分の瞬発力と演技力を総動員してとりあえず、いいね、と言った。会場は同じ方向に向かって最高潮にもりあがっていたのでわたしのリアクションに違和感をもつ人は多分いなかった。

 

その子のアウトプットは自分のことで溢れかえっていた。トピックは彼のことだし、いかに彼に好意を持っているかという内容だったので、どこからどう切り取っても間違いなく瑞々しいラブレターそのものだったのだけど、その文章に登場する過去も今も未来も全ての主軸は彼女のことで、込めた願いの主語はすべて自分だった。わたしはそれがすごく怖くて、でもその危機感を口にすることはできなくて(より正確に表現すると、効果的な伝達はできないと確信している)、彼の幸せも新生活も周囲と同等の温度感で願ってはいるけれど、その中には彼が必要以上に傷つくことがありませんようにとの恐れがどうしてもどうしても今でも消えない