犬と家とバツイチ

犬を育てています。人生と日々のくらしと結婚生活の弔いについて

挙式に行けなかった話

昨日友人が結婚しました。

招待してもらったのに、私は挙式に行けませんでした。

台風の影響で、ではありません。個人の問題です。どうしてもどうしても宗教と婚姻に関係するしかも元義両親の住む街で行われるそんな神聖な場に足を踏み入れることができなくて当日の朝に適当な理由をつけて披露宴から参加させてもらいました。きれいだったしおいしかったしたのしかったし新郎新婦はほんとうに魅力的だったのに、それなのに個人の都合を友人の生活それも大切な1日に反映させてしまうなんて、あってはならないことだ。

わたしはめちゃくちゃ自分のかつての婚姻関係を引きずりまくってる非生産的にんげんにちがいないのだけど、でもそんな個人の感情を外部に適用してしまったのはたぶんこれがはじめてて、そんな自分にどうしようもなくがっかりしています。でもできなかったという事実を、成し遂げられなかった自分を、個人の問題と個人の責任をわたしはきちんと認識して対策しないといけない。こんなことしてたらダメだ。

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いままで触れてきてなかったのですが、2010年からカメと暮らしていました。親戚の引越しに伴って我が家にやってきた黒いカメ。学生のときをずっと2人で過ごした。

 

卒業して就職して、少し込み入った形で恋人とされていたもの(not 不倫)を解約して、その喜びと悲しみとたくさんの後悔に突き動かされて約3週間のあいだ東京中を泊まり歩いていたとき(会社休めなかったのでせめて仕事に行ける範囲で旅行のようなものをしたかった。お金たくさんかかった)、最後の気持ちのけじめとしてなぜかランチの時間にペットショップに行って、ちっちゃな黄緑色の子ガメを購入してその子と家に帰った。当時の気持ちは当時のわたしにも今のわたしにもうまく説明できないんだけど、学生時代を共に過ごしたカメには仲間を作って欲しかったような、2匹のカメに仲間になって欲しかったような、要するにわたしがカメたちにすがっていたんだと思う。わたしの衝動的なプチ家出は子ガメと一緒に完結した。

 

結局違う種類のカメを飼ってしまったせいで冬眠中以外はふたりがおなじ水槽を共有することはなかったんだけど、毎年冬眠させてたから半年ずつしか一緒にはいなかったんだけど、2匹のカメたちはずっとわたしの同居家族で、毎年目に見えて大きくなっていくのがとても嬉しかった。結婚して犬がやってきて、どうしても室内で同居する犬の方が存在感が大きくなっていたけれど、ベランダで暮らしてるカメたちの年月が犬を上回ることは絶対にない、と、思ってた。

 

わたしのエゴで連れてきたカメが死んだ。

わたしが頼ってすがって一緒にいてもらってた黄緑色でまるくて手足がぷっくりしたまだ6歳だったカメが死んだ。

 

 

ごめんね。不幸にさせてごめん。それでも一緒にいたかった。今でも一緒にいたい。帰ってきてほしい。帰ってこないのはわかってる。カメの意識がもしまだなんらかの形で継続するような仕様なのであれば、これからはもっと幸せに暮らしていければいいな。わたしが幸せにしてあげたかったけど、今からできることはなにもない。

 

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元結婚記念日

なにしようか全く決まってない。

 

たぶん、ほんとはだれか性愛を感じないひとにそのへんにいて欲しいような気がする。でも、元結婚記念日にひとりでいるのがさみしいからなんて動機は、あまりにも独りよがりでかっこわるくてなにより他人になぐさめを強要してしまうことになる。だから、でも、やっぱり、黙ってればいいかな、でも、いや、黙っていたところでやってることは同じだって、そんなの自分が一番わかっている。

 

それかいっそふりきって仕事関係もなにもかも一度保留にして犬と思い出の上塗り旅行に出るのもいいよね。明らかに意識しまくりなのだけど犬とふたりならそんな自分を許容できるような気がする。いつまで離婚の喪に服してるんだってそんなの自分が一番わかっている。

失恋の乗り越え方

いつものごとく友人についてです。わたしは記載の通りなにも乗り越えられてないので。

 

今月のうれしかったこと。

友人に新しい彼女ができ、彼女とわが家(わが家は完全に失恋ハウスになっており、失恋離婚に悩んでいる友人の駆け込み寺のようになっている。and I’m proud of it) の半々の比率で失恋から立ち直りつつあるといっていた事。

 

わかってる。20代で家買って犬を愛して好き勝手生きてるのがいかに再婚から遠ざかってるか自分の人生の選択肢から遠ざかってるか親を複雑な気持ちにさせているのかわかってるけどでもそれはそれでこれはこれで私は買いたかった家が買えて友人の失恋に作用できてそれだけで買ってよかったって100%の自信でそう思う

元義従弟

夏休みなのでいとこがうちに泊まりにきました。元夫の従弟。

 

彼の人生の1/3くらいのあいだ、わたしは彼のお姉ちゃんでいました。その後関係性の解消があったことも理解していて、それでも彼の家族ぐるみで法律はともかくとしてずっと家族だって言って折に触れて連絡をくれます。やさしい子だしやさしい一家です。

 

夜、彼のために仕切られたスペースを用意したのに一緒に寝たいと言ってわざわざ私のベッドのとなりに布団を引きなおすくらいひとなつっこい彼に、ぼくたちの名字ってもう違うの?って聞かれた。

 

そうだよ。名字はもう違うから、お兄ちゃんはまた他の人と結婚して大丈夫なんだよ。意識して明るく聞こえるようにそう伝えたときに彼がなにを思ったのかはわからないけど、一息置いて返ってきた返事をきいて、この子は的確な表現をするなって思った

 

 

ぼくね、コンタクトないと目がほんとに見えないのね。だからお姉ちゃんが今どんな顔してるのかわかんない。

自分はリスペクトされるべきという驕り

我が社には課題が多い。

 

平成初期から続く、中小企業というよりもはや零細企業。わたしと同い年くらいの会社は同じくらい課題の多い社長が脱サラして創設したもので、良くも悪くも人間的すぎるところがあります。

 

わたし自身まったく不真面目な人間だけれど仕事は仕事としてビジネスライクにいきたいとおもっているので、仕事なのに理にかなってないという状態はだいぶ趣味にあわないのだけど、そんなこんなでもう5年くらいここにいてすでに中堅になってしまったということは残念ながらそれなりに耐性あったのでしょう(全然いらない)。

 

そんな我が社には前述の通り課題が多く、それは物理面と精神面と精神面と精神面に分けられるんだけど、今日社長と帰り際に1時間立ち話して、全てのトラブルの根本は「自分はもっとリスペクトされるべき」という驕りからくるものだという結論に至りました。

 

自分は損ばかりしている、相手のここが傲慢だ、ならばこれくらいの態度でいいだろう、自分はこれくらいの待遇にふさわしい、そのように扱ってもらえないならこちらも相応の対応しかできません

 

先行する相手の態度感情の可否はどうであれ、リスペクトというのは大半の場合自分の行いの結果だと思うので、自分へのリスペクトを自分で前提にして他者に要求するのはやや前後関係に無理があるように若輩者は感じています。対社外の人であればなおさら。

 

でもね。そのあと電車に乗ってて思ったんだけど。なんでそもそもみんなが自己承認欲求を持て余してるんだろうって。なんか、いわゆる、荒んだ家庭環境のストレスを学校で吐き出す子供たちのようだなって。たぶん、それは自分のしている業務に納得感がなく、正当な評価に飢えているからではないだろうか。納得のいかないままやらされているストレスを社内で交換しあってるんじゃないかな。ということを、明日Slackで社長に投下してみようかな。もうなるようになれ。

 

ちなみに私は仕事上の承認欲求はほぼなく、喧嘩をふっかけられても刺し返すことはないし社長がどれだけ常軌を逸脱していても1時間も2時間も立ち話できるんだけど、たぶんそれは私がこの仕事を根本的に愛していないからなんだと思います。私にとってこの仕事は純粋に金銭のためでしかない。それ以外の精神的支柱は必要ない。そういう点で、社長が本当に大切にするべきなのは愛に飢えた荒んだ子供たちのほうなんだけど、彼はそれには気づかないので我が社の課題は一向に減らない。

いつまでこんなこと思いながら生きるのだろうか

愛読するブロガーさんのタイトルに共感したので、尊敬を込めて拝借しました。

 

元夫の夢を見た。

 

それはそれは鮮明な夢の中で、私は元夫と彼の今の恋人であろう人と3人でいた。

 

私は写真でしか姿をみていなかったので、へーこんな人なんだなってところがプラス面でもマイナス面でもあって、それは自分へのバイアスを抜きにしても本当に他の知人に感じるものと同程度の印象だったように思う。彼女にはね。

 

でも、彼女のことが100パーセント大好きな元夫を見て、100パーセント愛されてた過去を思い出して、それは本当に過去も過去で今は今なんだなって思って、彼女を大切にしたいから協力して欲しいって真摯な目で言われて、ひさしぶりに会った元夫は全然私の趣味じゃないけど客観的にはとってもスマートになっていて、

 

魅力ってなんなんだろ。それって人間にとって第1に必要なもの?

 

 

 

 

夜中に咄嗟にとなりに眠る犬の手を握ってしまった。ごめんね、ありがとう