犬と家とバツイチ

犬を育てています。人生と暮らしと結婚生活の弔いについて

転職決定

去年末から進めていた、いろいろありすぎた転職がようやく確定し、勤務先にも社長にも退職の通知をした。

 

この仕事を得た5年以上前、わたしは人生のどん底にいた。一刻もはやく転職先が必要で、内容なんてこの際どうでもよかった。面接後、廊下から執務室をながめながら「がんばって働くから、なんでもするから、お願いだからそっち側に入れてくれ」と心から思ったことも、採用通知を電話でもらったとき嬉しくて嬉しくて渋谷の街を駆け足で通り抜けたことも、自分のデスクもPCも名刺も全部全部新鮮でいまさらながら社会人になったような気分になったことも、今でもとても鮮明に覚えている。

 

病院も歯医者さんもすべてこの街にある。なんならいまの家だって多少は考慮して買った。結婚も離婚も全部この街とともに経験したし、会社付近のいたるところで泣きながら歩いた。ローンは勤続年数をもとに算出されたものだし、深夜残業でウーバー頼んで同僚とやけくそになって笑いあった。仕事のセンスは全く合わないけど、なんだかんだで人間性は好きだった社長と2人でいろんなことを話した。社長はわたしの父親よりもすこし長く生きていて、すこし病的に人間不審で、自分の会社とそれ以上に社員を心から大切にしていて、みんなを喜ばせたいと真摯に思っているけど、みんながどうしたら喜ぶのか理解する能力が致命的に欠けていた。わたしとは全然違う人間だから意見は全然噛み合わなかったけど、分かり合えても分かり合えなくても彼との会話はいつもとても面白くて、彼がわたしの話を聞いてくれることも彼がわたしに話をしてくれることもすごく嬉しかった。何回も何回もコミュニケーションを重ねるたびに、社長からの信頼が深まっていくたしかな実感と、それ以上にわたしたちは決定的にわかり合えないという確信を強めた。わたしは退職を告げ、彼は身もふたもなくわたしを迫害した。

 

でもね、わかったことがある。どれだけ見苦しい姿を見てしまっても、どれだけ幻滅しても、今までの全部を否定されたとしても、わたしは一度好きになった人のことはたぶん一生好きなままなんだ。共有していた思い出を踏みにじられても、不合理に人間性を否定されても、相手がどれだけわたしに興味を失って、わたしがどれだけ相手にがっかりしたとしても、それでも、好きなひとのことは一生好き。

 

雇ってもらえたこと心から感謝しています。あなたと今後の人生を過ごせないことが残念です。わたしがあなたの生活にビジネスに人生にいたことを、あなたが後悔していないといいなって思っています。

金浦空港で寝てはならない

ひょんなご縁で韓国にいます。初めてのところに行くのはいつだってどきどきする。

 

2泊4日の雑多な印象を強引にまとめると、アジアの中でも中国や韓国やベトナムやそのへんの国々ってつながってるよなって、日本ってまず物理的に分かれてるよなってあちこちで思いました。楽しかったです。

 

ただひとつだけ、フライトが早朝だからって空港に泊まろうとしているわたしのような人に、金浦空港は24時間営業じゃないよ、真っ暗な空港に着いた挙句に警備員にマイナス5度の寒空に放り出されて同じ境遇の人3-5人と喫煙部屋みたいな所で風をしのぎながら一晩素材不明の硬い冷たい椅子に座ってどの因果関係で意識が遠くなっているかもわからずに夜明けを待つことになるよということを、是非教訓として伝えていきたい。

ラブレターの主語

親戚の子に彼女ができた。恥ずかしそうに、気怠そうに、でもどうしようもなく嬉しそうに2人のやりとりを4等親まで見せる彼は気の優しい朴訥な高校生である。若い2人の2人にしか紡ぎ出さない言葉のラリーに周囲の成人たちは文字通りむせ返って、口々によい女の子をみつけたね、と言った。

 

たぶんあの場で、わたしだけがそうは思わなかった。文章自体にも驚いたし、そう思っていないのが自分だけだということにもっと驚いたけど、自分の瞬発力と演技力を総動員してとりあえず、いいね、と言った。会場は同じ方向に向かって最高潮にもりあがっていたのでわたしのリアクションに違和感をもつ人は多分いなかった。

 

その子のアウトプットは自分のことで溢れかえっていた。トピックは彼のことだし、いかに彼に好意を持っているかという内容だったので、どこからどう切り取っても間違いなく瑞々しいラブレターそのものだったのだけど、その文章に登場する過去も今も未来も全ての主軸は彼女のことで、込めた願いの主語はすべて自分だった。わたしはそれがすごく怖くて、でもその危機感を口にすることはできなくて(より正確に表現すると、効果的な伝達はできないと確信している)、彼の幸せも新生活も周囲と同等の温度感で願ってはいるけれど、その中には彼が必要以上に傷つくことがありませんようにとの恐れがどうしてもどうしても今でも消えない

 

2020年と犬と雪国

今週のお題「2020年の抱負」

 

6時間以上かけて、犬と雪国に来ています。年のはじめから旧友のご実家にお邪魔させていただくことになりました。

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ふだんきゃっきゃ騒がしいこともある犬はなぜかとっても大人しくて、ほとんど声も上げずに静かにバッグにイン。まさか犬が入っていると気づく人はほとんどいないことでしょう。この子と旅行ができること、私たちを快く受け入れてもらえたこと、本当に幸せなことだと思います。ありがとう。

 

わたしはとても日付を気にしてしまう節があるようで、自分の誕生日、年末年始、結婚及び離婚日などなど.....日付はただの記号だし去年と今年と来年とそれぞれ全部ちがうってわかってるんだけど、それでも日付をひとつの目安にして行動をすることがよくあるなって最近振り返って気づきました。

 

だから1年後に、あああの時の自分はこうだったなって思えるようにいまとりあえず思いついたやりたいことをはっておきます。

 

1. 婚姻生活からの感傷から卒業して次のステージに行ったと自分で思えるようになる

2. 本業以外の収入の柱を確立する。思いついたものはとりあえずやる。節税や投資について勉強する

3. 仕事で次のステージに進む。新しいフィールドにチャレンジする

4. 英語もっと仕事でちゃんとした言葉遣いできるようにする。スピーキングがんばる

5. ベトナム語のちょっとした会話くらいはできるようにする

6. インプット→アウトプットできるようにする。物事に対する瞬発力を高めたい

7.  男女関係に前向きな気持ちになる

8. 犬を健やかに育てる。笑

 

 

2017年の年末に、意地でも2017年の間はがんばろうって、投げ出さないでいようって、そうやって日々を数えていたあの時のことはきっといい意味でも悪い意味でも忘れられないと思うけど、こうやってその次のトピックを重ねて増やして薄めてのばせるのはわたしがその先を生きているからこそ。

繁殖願望

ひょんなことから、唐突に子どもを持ちたいと強く感じる経験をしてすこし、かなり、戸惑っています。

 

こんなことは未だかつてない。婚姻時は相手と相手の家族全員に好意を持っていたので、この生活の先にわたし(たち)もこれから、生まれながらにして親戚関係をもつ存在を再生産するのであろうという認識はあった。しかしそれはただの現状から予測される見込みでしかなく、まったく実感を伴っていなかったと今ならわかる。仮に、それでは今から具体的に「子ども」をasapで人生に組み込もうってあのとき言われたとしたら、間違いなくわたしはそれを受け入れることができなかった。配偶者のことが大好きで大好きでしかたがなかったにもかかわらず。

 

いま、正確には約2-3週間前、わたしははっきりと今すぐにでも妊娠して出産したいと感じた。妊娠のメカニズムについて検索を重ねて知識を手に入れた。今後の資金状況とマンパワーの分配について再考した。この気持ちと相反するのかしないのかわからないけれど、再婚したいという気持ちも恋愛対象を見つけたいと思う気持ちすらもほとんどない。元配偶者の子どもを産むというロールは私のものではないということも十分に理解している。1年前に病院で、排卵障害を意味する固有名詞をカルテに記載されたことももちろん覚えている。

挙式に行けなかった話

昨日友人が結婚しました。

招待してもらったのに、私は挙式に行けませんでした。

台風の影響で、ではありません。個人の問題です。どうしてもどうしても宗教と婚姻に関係するしかも元義両親の住む街で行われるそんな神聖な場に足を踏み入れることができなくて当日の朝に適当な理由をつけて披露宴から参加させてもらいました。きれいだったしおいしかったしたのしかったし新郎新婦はほんとうに魅力的だったのに、それなのに個人の都合を友人の生活それも大切な1日に反映させてしまうなんて、あってはならないことだ。

わたしはめちゃくちゃ自分のかつての婚姻関係を引きずりまくってる非生産的にんげんにちがいないのだけど、でもそんな個人の感情を外部に適用してしまったのはたぶんこれがはじめてて、そんな自分にどうしようもなくがっかりしています。でもできなかったという事実を、成し遂げられなかった自分を、個人の問題と個人の責任をわたしはきちんと認識して対策しないといけない。こんなことしてたらダメだ。

🐢

いままで触れてきてなかったのですが、2010年からカメと暮らしていました。親戚の引越しに伴って我が家にやってきた黒いカメ。学生のときをずっと2人で過ごした。

 

卒業して就職して、少し込み入った形で恋人とされていたもの(not 不倫)を解約して、その喜びと悲しみとたくさんの後悔に突き動かされて約3週間のあいだ東京中を泊まり歩いていたとき(会社休めなかったのでせめて仕事に行ける範囲で旅行のようなものをしたかった。お金たくさんかかった)、最後の気持ちのけじめとしてなぜかランチの時間にペットショップに行って、ちっちゃな黄緑色の子ガメを購入してその子と家に帰った。当時の気持ちは当時のわたしにも今のわたしにもうまく説明できないんだけど、学生時代を共に過ごしたカメには仲間を作って欲しかったような、2匹のカメに仲間になって欲しかったような、要するにわたしがカメたちにすがっていたんだと思う。わたしの衝動的なプチ家出は子ガメと一緒に完結した。

 

結局違う種類のカメを飼ってしまったせいで冬眠中以外はふたりがおなじ水槽を共有することはなかったんだけど、毎年冬眠させてたから半年ずつしか一緒にはいなかったんだけど、2匹のカメたちはずっとわたしの同居家族で、毎年目に見えて大きくなっていくのがとても嬉しかった。結婚して犬がやってきて、どうしても室内で同居する犬の方が存在感が大きくなっていたけれど、ベランダで暮らしてるカメたちの年月が犬を上回ることは絶対にない、と、思ってた。

 

わたしのエゴで連れてきたカメが死んだ。

わたしが頼ってすがって一緒にいてもらってた黄緑色でまるくて手足がぷっくりしたまだ6歳だったカメが死んだ。

 

 

ごめんね。不幸にさせてごめん。それでも一緒にいたかった。今でも一緒にいたい。帰ってきてほしい。帰ってこないのはわかってる。カメの意識がもしまだなんらかの形で継続するような仕様なのであれば、これからはもっと幸せに暮らしていければいいな。わたしが幸せにしてあげたかったけど、今からできることはなにもない。

 

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