犬と家とバツイチ

犬を育てています。人生と暮らしと結婚生活の弔いについて

友人の失恋

友人が失恋した。だいたいの顛末(と、わたしは思っている)を聞いた。自分の離婚の起承転結を思い出した。悲しみにくれている友人が目の前にいるのに自分のことばかり思い出している私は本当に自分軸でしか物事が考えられないんだなと再確認した。

 

どうやって彼をなぐさめていいのかわからなくて、自分軸でどう慰めて欲しいかを考えてもわからなくて、私だったら、の話をたくさんした。彼が助けを求めたその他大勢はきっとその対象をひどく罵るだろうなと思った。相手の将来が暗くあれと呪うだろうと思った。客観的には同じ感想を抱いた。でもそんなこと言えなかった。だって友達の愛したひとだから。なんであろうと、どうであろうと、その人が好きで好きで仕方がないんだから。

 

彼がどうしたらいいのかわたしにはわからない。たぶん誰にもわからない。同じように、わたしが今後の人生をどう生きたらいいかもきっと彼にも誰にもわからない。だけど友人が悲しんでいるのを見るのはとても悲しい。彼が幸せになったらいいと思うけど、つまりわたしにも誰にもそれをすることはできない。誰にもどうすることができないけれども、ほんの少し時間軸が先輩であるわたしは悲しみにくれる友人のひりひりとした悲しみをじっとみていることはなんとかできる。失恋に最適解はないけれど、友情はそれより少しだけシンプルだ。